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時計の雑学

銀座の顔、銀座WAKOの時計塔と日本が誇る時計ブランド「SEIKO」

公開日: 2021/05/11

日本で一番地価の高い場所、銀座
その銀座の顔とも言える銀座WAKOの時計塔
その時計塔と日本が誇る時計ブランド「SEIKO」に密接な関係がある事をご存じですか?

 

 

 

銀座
有名デパートが軒を連ね、高級ブランドの多くが路面店を出店し、最高の「衣」と「食」、「遊」が揃う街
日本で一番地価の高い場所としても有名です(←銀座4丁目山野楽器前)

 

地名としても有名で、お昼のワイドショーや夕方のニュース番組など
街の人の声としてインタビュー場所によく登場します
そんな銀座のシンボルと言えば

 

 

銀座WAKOの時計塔

 

 

で、間違いないでしょう
銀座4丁目の交差点銀座WAKOと銀座三越は銀座の象徴として度々目にしますよね
映画好きな方なら「ゴジラ」に破壊された時計塔として印象に残っている方も多いのではないでしょうか?

 

 

現在WAKOは紳士・婦人用品や宝飾品、時計、テーブルウェア、室内装飾品等デパートに近い品揃えとなっています
ではなぜ、このWAKOのシンボルが時計塔でなくてはならなかったのでしょうか?
そして、このWAKOと日本の時計ブランド「SEIKO」が密接な関係にある事をご存じでしょうか?

 

 

 

 

・服部時計店

 

今現在、私たちが目にしている時計塔、実は2代目なんです
1代目の時計塔は1894年に完成しました
その時この場所にあり、時計塔を完成させたのは「服部時計店」という、まさに時計屋さんでした

 

 

そしてこの服部時計店こそ、SEIKOの前身なのです

 

 

服部時計店(現:セイコーホールディングス株式会社)は1881年に服部金太郎氏によって創業されました
現在はSEIKOの関連会社としてWAKO本店が鎮座するこの場所ですが、登記上のSEIKO本店は現在も変わらずこの場所にあります

 

 

元々中古時計を買い取って修理、販売を行う事業展開でしたが、自社で時計工場(精工舎)を持ち国産クロックの製造を開始します

 

その後、建て替え建設中に関東大震災に見舞われ一度は建設中断を余儀なくされますが1932年、現在でも銀座のシンボルであり続ける時計塔が完成しました

 

 

 

・時計塔

 

 

現在の銀座WAKOの時計塔は、建築家・渡辺仁氏によって設計されました
ネオルネッサンス様式が取り入れられており、その荘厳な佇まいは見る者の目を奪います

 

1954年の6月10日「時の記念日」からはチャイムの音が鳴り響くようになりました
このチャイムはウエストミンスター式チャイムが採用されており、正午には美しい鐘の音が銀座の街に響き渡ります
ウエストミンスター式チャイムと言えば、学校のチャイムが有名ですよね

 

2009年には「近代化産業遺産」に認定されています

 

なんとこの時計塔、2004年にはGPS電波が導入され時刻の正確さは折り紙付き
最新の時刻修正機能が導入されているにも関わらず、月に一度はメンテナンスを行うなど時刻の正確さには細心の注意を払っています

 

 

 

・現在のWAKOとSEIKO

 

銀座和光は新しく本館の1階、2階にウォッチスクエアを展開
新しい時の流れを可視化、体感できるエリアとして注目を集めています
様々な商品を扱うようになった現在でも時計に対する思いはしっかり受け継がれているんですね

 

さらに、SEIKOはセイコーホールディングスとして販売部門である和光を始め、ウオッチ等の企画・開発・製造販売を担うセイコーウィッチ株式会社や電子部品や精密部品、プリンティングデバイス等の開発・製造・販売を担うセイコーインスツル株式会社等、様々な事業を細分化し新しい日本の時計の開発に力を入れています

 

 

世界初となるクォーツウォッチ(アストロン)を発表したのもSEIKOですし、機械式時計のゼンマイを駆動の原動力としながらクォーツ式の水晶振動子からの正確な信号による時刻の正確さを実現した「スプリングドライブ」は世界中から注目を集めています

 

 

 

高級時計といえばスイスを連想する方も多いと思います
実際高級時計ブランドの多くはスイスに本社を置いているブランドが多く、その歴史や技術力の高さには目を見張るものが多くあります
そんな高級時計市場の中で存在感を増す「SEIKO」

 

 

銀座と深い繋がりを持ち、銀座のシンボルとなった銀座WAKOの時計塔と日本が誇る時計ブランドSEIKOのこれからが楽しみです