GINZA TOP GEAR

時計の雑学

色褪せない!「ジェラルド・ジェンタ」の時計が何故、人を惹きつけるのか?

公開日: 2022/03/08

時計好きなら「ジェラルド・ジェンタ」と言う名前を聞いた事、ありますよね?
名だたる高級時計ブランドのアイコニック的な時計の数々を生み出した、時計デザイナー
時計の愛好家はその複雑で美しい機構を好む方が多いのですが、ジェンタだけは特別です
今回はジェラルド・ジェンタの仕事に注目です!

 

 

 

 

 

ジェラルド・ジェンタ

 

1931年スイス、ジュネーブで生まれた彼は15歳からジュエラーとしての道を歩み始めます
23歳頃から時計デザイナーとして活動し始めたそうです(←実際に時計デザイナーとして活動し始めたのは1961年頃等様々な説があります・・)

 

どこかに所属する事なくフリーランスのデザイナーとして活動していたそうです
1960年代初期、ジェラルド・ジェンタが時計デザイナーとして歩み始めたすぐの頃
OMEGAで手掛けたデザインに「コンステレーション クロノメーターCライン(通称Cライン)」があります

 

 

 

コンステレーション クロノメーターCライン

 

この時計、発表から60年程経過しているのでアンティーク時計として扱われるのですが
その人気の高さには驚かされます

 

更に、このCラインには前期型と後期型が存在しており
風防の形状や文字盤に星マークがある、ない等微妙に違いがあるのですが、どちらも高い人気となっています

 

 

 

Cラインは、ケースのみがジェンタのデザインとなっていて
オーバル型ケース、ラグと一体化しベゼルを低く抑えたこのモデルはその後も多くのモデルに影響を与えました

 

ジェラルド・ジェンタを語る上では外せない、初期の重要なモデルです

 

 

 

 

 

ロイヤルオークの誕生

 

1972年、世界3大高級時計ブランドの1つである「AUDEMARS PIGUET(オーデマ・ピゲ)」から発表された【ロイヤルオーク

 

 

 

スポーツウォッチとしては薄型で、ステンレスを高級時計の素材として初めて採用した時計
発表当時はあまり受け入れられなっかたらしいのですが、近年のラグスポ人気の一端は間違いなくロイヤルオークにあります

 

舷窓(←船体に設けられた小さな窓)にインスピレーションを受けデザインされた八角ベゼルは8本のビスによって留められています
これらのデザインはジェラルド・ジェンタを代表するデザインとなっており、他のブランドでも見かける事がありますね

 

現在ではオーデマ・ピゲを代表するモデルとなっており、「ロイヤルオーク」「ロイヤルオーク オフショア」「ロイヤルオーク コンセプト」と言った派生モデルも存在しています

 

 

 

 

 

ノーチラスの誕生

 

1976年、同じく世界3大高級時計ブランドの1つである「PATEK PHILIPPE(パテック・フィリップ)」から発表された【ノーチラス

 

 

舷窓から着想を得た八角ベゼル
こちらは「潜水艦ノーチラス号」の舷窓と言われています

 

その名の通り、ノーチラスは「潜水艦ノーチラス号」から着想を得ています
潜水艦と同じく「水」に強くするため様々な工夫が凝らされています

 

ケースの左右に飛び出した、印象的な「耳」
こちらも防水性を高める為のもので、防水性を確保しようとした場合どうしてもケースは厚くなってしまいます
ドレスウォッチのように薄いのに防水120mと言うのは実は驚異的な事なんです!

 

 

同じ「舷窓」に着想を得た“ロイヤルオーク”と“ノーチラス”
こうして見比べてみると、確かに似てはいるものの受ける印象はまるで違いますよね

 

野性的でアグレッシブな印象のロイヤルオーク
ドレッシーでエレガントなノーチラス

 

どちらか1つを選ぶ方が難しそうです・・

 

 

 

 

 

SEIKOとジェラルド・ジェンタ

 

日本が世界に誇る時計ブランドSEIKOからも、ジェラルド・ジェンタデザインの時計が発表されています
クレドール ロコモティブ】です

 

 

1979年、現在まで受け継がれるSEIKOの高級ドレスウォッチブランド「クレドール
初期モデルはなんとジェンタ氏が手掛けたものだったんですね

 

目を惹く6角ベゼル、こちらは機関車から着想を得たらしいです
この6角形はケースだけでなくダイヤルやブレスなど随所に取り入れられています

 

日本のクォーツが勢いを増し、スイスの機械式時計が押されていた時代
ジェンタとSEKOの関係はスイスでは厳しいものだったようですが、2者は良い関係を持ち続けていたようです

 

 

 

 

 

ジェラルド・ジェンタ

 

 

1972年には、世の中に受け入れられた自身のデザインを武器に自ら時計メーカーを立ち上げます
1998年には時計メーカーのジェラルド・ジェンタを退職しています
その後、2000年時計メーカーのジェラルド・ジェンタはブルガリ傘下となりました

 

 

2011年に亡くなるまで、ジェラルド・ジェンタは「時計界のピカソ」と呼ばれ
数多くの作品を世に出しました

 

23歳から時計デザイナーとなった彼が生涯で描いたドローイングはなんと10万枚を超えるそうです
現在でも時計業界を牽引する「ロイヤルオーク」や「ノーチラス」は彼の死後も色褪せる事はありません
むしろ、今新たに人気が高まり、上記2つ以外の彼のモデルにも注目が集まっています

 

「ジェラルド・ジェンタの時計」今後も要check!です